ABIS INDONESIA!
MAYUMIの★だって、インドネシアなんだもの★


No. 6 SELAMAT IDUL FITRI (断食明けおめでとう)

■今回のフレーズ
Mohon maaf lahir dan batin. すべての罪をお許しください。

■関連単語
puasa:断食
Ramadhan:断食月, bulan puasaともいう
sahur:断食月中、日の出前に食事を取ること
Idul Fitri:断食月明けの大祭(イスラム暦で10月1日。アラビア語から)
Lebaran :断食明けの大祭(イスラム暦で10月1日。ジャワ語から)

■一口メモ
日没時にその日の断食を解禁することをbuka puasaと言います。日没の時間はmagribと呼ばれますが、この時間になるとちゃんと合図のコーランが流れます(断食月以外でも流れてますが)。町中のモスクから聞こえてくるので、断食明けを待っている人は今か今かと耳を傾けています。

■MAYUMIのコラム
先日の10月13日はイスラム教徒にとって最も大切な祭、Idul Fitri(断食月明けの大祭)でした。このIdul Fitriの前の約1カ月間、イスラム教徒たちは日の出から日没まで食べ物も飲み物も一切口にしないという断食を行います。たいてい夜中の3時ごろに起き、日の出までに食事を取ります。これをsahurと言います。食事の内容は普段のものと特にかわりません。日の出の時間になると断食を始めます。そして夕方の日没の時間がくるとbuka puasa(断食明け)をします。まず砂糖たっぷりの紅茶や消化のよいお菓子を食べ、そのあと食事をとります。このような生活を30日間続けるのです。

このつらい断食をへて、ようやくIdul Fitriを迎えるわけです。このIdul FitriはLebaran(レバラン)とも呼ばれます。1週間近く休暇になるので、多くのインドネシア人が帰郷します。またこのレバラン前には年に一度のボーナスが支給されますので、レバランを迎えるために、新しい服を買ったり、故郷の家族や親戚のためにたくさんのお土産を買い込みます。イスラム教徒にとってレバランは年に一度の一大イベントなのです。

私がインドネシアにいる間、このレバランを2回経験しました。どちらのときも、下宿先の友達の実家へおじゃまさせてもらいました。

一度目は北スマトラ州のとある農村でした。私の友達は北スマトラ州の州都メダンの出身ですが、祖父母がこの村に住んでいるため、レバランのときは親戚一同集まってここで過ごします。メダンから車で5時間もかかる場所で、家の近くにはアブラヤシが整然と植えられた農園が広がっていました。またこの家はドリアンやカカオの農園を持っていたため、家のすぐ裏には、まるで山の中にいるような、木々が茂るうっそうとした農園が広がっていました。ここに来たとき、地元のおじいさんから「この村に外国人が来たのは第二次世界大戦以来だ」と言われたといえば、どれだけ田舎か想像がつくでしょう。
 


お互いに“Mohon maaf lahir dan batin.”
とやっているところです(北スマトラ州)

レバラン初日の早朝、近くのモスクに行き礼拝を行います。私は家に残ってお留守番をしていました。礼拝が終わると、家族のみんなが家に戻ってきてお互いにあいさつをします。このとき、“Mohon maaf lahir dan batin.(すべての罪をお許しください)”と一年間に犯した罪の許しを請い合います。感極まって泣いてる人もいました。このあいさつが終わると、徐々にお客様がいらっしゃいます。そして、お客様がいらっしゃるたびに、紅茶とお菓子を出してもてなします。次々と来るので、お皿やグラスをどんどん使っては洗わなくてはいけないので、私も一緒に洗い物を手伝いました。

レバランの初日はこのように来客が多くて大忙しでしたが、そのあとはのんびりとしていました。あまりにも田舎なので遊びに行くところもなく(町までは車で1時間かかるのです)、毎日だらだらとテレビを見たり(日本の寝正月にそっくりです)、ドリアンを拾いに農園に入ったりして過ごしました。
 




あいさつに行った家での食事。
ここはかなり豪華でした(西スマトラ州)
2度目のときは別の友達の家で過ごしました。西スマトラ州のブキティンギ近くの村でした。ここでも同じようにレバランの初日はモスクへ行きお祈りをします。このときは私も参加しました。

その後は、村の親戚や親しい人の家にあいさつに行きます。この地域ではレバランの際にはお菓子とお茶ではなく、食事を出してもてなすのがしきたりで、行く先々で食事を出されました。

通常の1食分のご飯とおかずを食べた後、2時間もしないうちにまた別の家で食事を出され、自分の家に来客があれば、食事でもてなし一緒に食べ、というように、1日に何食も食べなければいけません。




この地域のお祝い事があるときの、伝統的な食事
のとり方で、女性が5〜7人でひとつの大皿のご飯を
食べます。ご飯の上におかずをのせ手で丸めて
食べます。私も一緒に食べました(西スマトラ州)



食事をいただいた後は、「もう無理、食べれない」と思うのに、1時間半たって再び目の前に食事が出されると、まだお腹いっぱいにもかかわらず、またもや平らげてしまうのは不思議です。

この地域は、ココナツミルクとふんだんに使われた香辛料が特徴のパダン料理でお客様をもてなします。パダン料理は私の好物だったため、何とか飽きずにすみました。そして、このレバランで、私は人生最多の1日7食を達成しました!

お腹が苦しくて、夜中に気分が悪くなってしまうかもと心配しましたが、意外にも大丈夫でした。





東京インドネシア共和国学校にて。
建物内に人が入りきれず外に座ってここでお祈りしていました。
学校の門の前にも座れなかった人たちが順番待ちしてます。
さて、今年のレバランは、インドネシア人の友達と一緒に、目黒の東京インドネシア共和国学校で行われる礼拝に参加してきました。

土曜日ということもあって、都内にこんなにインドネシア人がいたのかと驚くほど、たくさんの人々が集まっていました。その後は、五反田にあるインドネシア大使館のオープンハウスでブッフェを楽しむ予定でしたが、私は別の用事があり泣く泣く不参加。来年こそは、食べに行きたいです。





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