CHIKOの写真deインドネシア

Vol. 10 Babe(親父)

とうとう4月になってしまった。
なんで「なってしまった」のかというと、バタオネ先生の本帰国が迫っているから。
うーん、残念。とっても残念。家に忍び込んでパスポートを盗み出してみようか…いや、エアチケも破っておいた方がいいかもしれない(涙)

私とバタオネ先生の出会いを知る人は少ないはず。
INJの日本人講師にはバタオネ先生の元生徒〜という方も結構いるけれど、私は違う。バタオネ先生は“友達の先輩”・・・インドネシア大使館勤務の友人T(ジャワ人)の元同僚だったのがバタオネ先生で、Tが何の気なしに紹介してくれたのが8年前。ドトール@新橋柳通り店が記念すべき初対面の場。 

中学までは日本にいたものの、その後はインドネシアへ単身留学してしまい・・・実は日本語のテキストを使ってインドネシア語を勉強したことがなかった私。バタオネ先生の名前は後から聞いたものの、功績も、評判も、お顔も、プロフィールも何も知らん。

そんな状態でガチンコ初対面。イヤー、Tが冷や汗をかいた、お互い“ガンたれまくり”“メンチきりまくり”のすっごい御対面だったそうな。初対面だから品良くおとなしく〜は、私のポリシーに反する。人と話す時は「しっかり目を見て、伝えたいことはハッキリ伝える」〜を通したらTにはそう見えたらしい。「2人とも睨み合ってるんだもん、怖すぎ」と後からTに愚痴られたほど。

お互い、最初の印象は最悪(笑)
バタオネ先生にも「あんなガン飛ばす日本人は初めて」と言われたのに(私だって「あんなガン飛ばすインドネシア人は初めてだYO!」)、その日以来、驚くほど意気投合。ちなみに話す時は全てインドネシア語。だから「バタオネ先生」なんて呼んでいたのは本当に最初だけ、その後すぐに大使館勤務時代の呼び名「Pak Dom」になり、それもすぐに卒業して今の呼び名「Babe」に。英語の“ベイブ”と思った方、大はずれ、Babeは“バーベー”、Jakarta方言で「親父」のこと。「オヤヂ」じゃないよ、漢字の方(ここ大事)。

ジョクジャにBATIK留学をしていた友達に付き添ってINJに行ったのが一番最初。私のインドネシア語講師の話もチラっとしたものの、あっけなく「今、人手は足りている」と断られ、私も通訳の方をやっていたので「ほんじゃ、個人レッスンで教えよう」と思っていたのに・・・バタオネ先生の鶴の一言!?であっけなく&めでたく採用。バタオネ先生いわく「私と似ている」んだとか。私、否定し続けているのだけど(笑)、生徒さんから「バタオネ先生とチコ先生、教え方が似てるし、内容も似ている時がある」と、よく言われるのは事実。使ってる教材もクラスも違うのに似ているってのはどういうこっちゃ?授業中に平気でキワドイ話するからかしら・・・ハハハ。

そんな大好きなBabeが帰国してしまう・・・

もっともっとたくさん話したかった、空いている時間に、いや、時間を無理につくってでもっともっと会っておけば良かった!聞きたいこと、一緒にやりたいこと、まだまだ山ほどあるのに。…後悔先に立たず。こんなに後悔したこと、今までなかったぞ。伝説のインドネシア語講師・バタオネ先生を「親父」と呼び、息子共々本当に可愛がってもらったことは一生忘れない。私とBabeの会話は遠慮の欠片もない。本音でぶつかれる、本当の親父のような存在だった。Babeの教えの数々、ゆっくり思い出して噛み締めてみなきゃいけないな。

これからはもっと“今”を大切に、真剣に生きよう。インドネシア語の知識も教わったけれど、もしかしたらBabeから教わった一番大事なことはコレなのかもしれない。

でもやっぱり帰国して欲しくない。
時計の針を戻せたらいいのに…
2007年春・・・桜色の風に乗って、大好きなBabeはメナドに向かう。


橋本章子(今欲しいものは“どこでもドア”)

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