CHIKOの写真deインドネシア

Vol. 2 私の中のインドネシア色浸透度(2003.06.23)
VOL.1                 2003/02/25


 先月、HPの講師プロフィールの文章を久し振りに改めました。文章を考えながら、今までの生活がどれだけインドネシア色に染まっていたのかを、改めて思い起こしてみると・・・ウーン、かなり濃かったかも(汗)

 私が生まれる前、例えば両親の結婚式には父の親友のインドネシア人達が写っていますし、まだフニフニの赤ん坊だった私をあやしているのもインドネシア人・・・家の中の調度品は、今でいうアジアン家具屋さんみたいだしねえ。元・着物のデザイナーだった母はインテリアにもこだわりがあり、家の中はかなりシックなアジアン風でした。今でこそ一般ウケするアジアンインテリアだけど、当時は理解されてなかったし、子供的にはイマイチでしたね(笑)

 だって、玄関入ると上半身裸の1.5m位ある木彫りの人形が数体あり(父がスラバヤで購入)、父が軍人の友達とハンティングにいき仕留めたという、チーターだか虎だか知しらんけど、豹柄チックな頭つきの毛皮がドカーンとあるわけで。海がめの剥製や、今では禁止されている 極楽鳥の剥製も!そしてカーテンはikatで、ソファーのカバーはbatik。異文化臭が明らかに強すぎた、我が家の玄関。

 Aduh...kelewatan dech(おいおい、やりすぎだぞ) 
    
      
★……★★★……★★★……★★★……★★★……★★★……★★★……★★★……★

 しかしカエルの子はカエル・・・私と母は趣味が同じ。でも、Singaporeに住んでいた時はASIAな雰囲気に心底飽きていたので、何を勘違いしたのか、コッテコテのロココ調にハマっていました。極めつけは金色の天蓋つきダブルベット!!!真鍮製の豪華なヤツをドカンと購入し、ウットリ寝てました(´∀`;)   え、似合わん?・・・Biarin!(放っといてくれー!)

 とにかく当時は猫足の家具や豪華なデザインの物にゾッコン!今になって考えてみると、「病気だったかもしれん」と思えるほどのハマりようでした。ベルサーチの食器なんかを拝んで買っていた、東南アジアがバブリー時代だもんなァ。食事の度に、「そのikan pepesは美味いのか?」ってな具合に睨みを効かせるメデューサ。インドネシア料理には合わないですね〜Apa-apaan sih?(一体ナンなの?)って感じです、ハイ。

 しかし今は気が楽ですのゥ。インドネシア色を消さずに堂々と生きていける時代になりました。私が15歳で単身留学した時代は、「インドネシア?皆、裸足でしょ?人食い族は?」、「電信柱にコモドドラゴンが張り付いてるんだってね!」、「インドネシアってどこにあるの?インド?」なんて平気でいう人がまだまだ存在していたんで(-_-メ) 昔は留学先を聞かれて「あっちの方です」なんて意味不明の応答をしていた私が、堂々とインドネシア語関連の仕事ができるようになったのですから・・・時代は変わりました。フフ。

 次回は別のインドネシアネタを書きますね〜。それでは、Sampe ketemu!


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